日本男児を育てるブログ

米国留学や海外での育児を経た、小学生・幼児の男三兄弟の母。子育てを通じて見えてくる日本社会や、絵本のことなど、日々感じたことを記録します。

その昔話は本物? 〜石井桃子「ふしぎなたいこ」

子供に昔話や民話に親しませたいという親心で与える絵本や児童書。でもそれらが本当に伝承に基づき、日本文化を体現するものになっているとは限らないのではないか。

長男の小学校入学までに延べ五千冊以上を読み聞かせてきた経験から、疑問を持つようになりました。書店に並ぶ流行りの現代作家の作品はもとより、学校や図書館の推薦図書や、名作と言われたり定番のロングセラーとなっているものも例外ではありません。

 

先日、いつも通っている公共図書館で、石井桃子さんの「ふしぎなたいこ ーにほんむかしばなし」の表紙を見かけて懐かしく思い、借りてきました。

石井桃子さんと言えば、児童文学の大家。戦前から活動を始められ、戦後も新しい日本の絵本や児童書を作ろうと奔走された方です。創作や翻訳での優れた作品が多く、私の子供の頃も、さらにその子供達も多くの作品を楽しんできました。

しかし「ふしぎなたいこ」に描かれた「天使の羽のついた天国の大工さん」や「ずるくて情けない仁王様」を見て、戦後の日本では絵本の世界においても、文化が断絶してしまっているという一面に気づかされました。

 

「天国」の大工さんと天使の羽

「ふしぎなたいこ」は「岩波の子どもの本」シリーズの一冊で1953年発行。少々古いですが今でも人気があり、学校から推薦されたり、熱心な親御さんが良質な本で昔話に親しませようと読ませるようなタイプの本かと思います。しかし、数十年ぶりに読んでみて驚きました。

あらすじとしては、

叩くと鼻が伸びるという不思議なたいこを持ったげんごろうさんが、どこまで伸びるのか試してみようとどんどん叩いて伸ばしていくと、天国で天の川の橋をかけている大工さんが、その鼻を欄干と間違えて結びつけてしまい・・・

というお話です。

 

そこで疑問が浮かびますが、「天国」とは一体どこでしょうか?

昔話というからには、日本神話に描かれる高天原?仏教の六道最上位の天国のことでしょうか、それとも極楽浄土のこと?・・・でも大工さんの絵を見ると、背中には天使の羽がつき、何と頭には天使の輪まで浮かんでいます。キリスト教の天国ということでしょうか?

解説では、石井桃子さん自身が挿絵の清水崑氏を指名し、絵の描き方も一緒に考えていったことが書かれています。

これには、事態の深刻さを感じます。日本には質の良い絵本が必要だ、戦後の新しい日本の子供達のためにと気概を持って、昔話を題材に作られた本。しかしここには文化の断絶があることを感じざるを得ません。

 

逃げ出す情けない仁王さま

「ふしぎなたいこ」の本には三つのお話が収録され、三番目が「にげたにおうさん」です。

におうさんと呼ばれるお寺の門番は、力自慢で誰にも相撲に負けません。さらなる相手を探して、海を渡って行った先には信じられないほどの怪力の大男。そこでにおうさんは、おしっこに行きたいからと言い訳をして逃げ出します。

 

舟で追いかけて寺までやって来た大男とは、力ではなく知恵で勝負をしようと言って、かくれんぼをすることになりました。井戸の上に隠れ、水をのぞきこんだ大男が井戸に落ちたので、におうさんは勝つことができました。

 

だから今でもお寺の門でいばって立っているのです。

というお話。どう思われますでしょうか?

ひとつの物語としては、くすっと笑ってしまう場面も多くあり、清水崑氏の墨の絵の魅力もあり面白いものです。このようなお話があること自体を一概に否定する訳でも、読むべきでないという訳でもありません。このようなお話が語り継がれてきたという事実があるのもたしかなのでしょう。

しかし、これが冒頭の天国の話と並べられると、仏教という背景をすっかり無視した話のように思えます。地元のお寺の仁王像を見て、我が家の子供達はすっかりこわがって、悪いことをすると仁王様の姿を思い出していたのですが、このお話だけ読むと威厳も恐ろしさもあったものではありません。

 

文化継承の必要性 〜日本神話も仏教も知らない子供達

結局何が問題なのかを考えてみると、このような天国の話や、仁王様の話に以外に、真っ当なお話に当たるものに触れる機会が殆どないことではないでしょうか。以前の記事にも書いた「守破離」で言えば、「守」の部分がすっかり抜け落ちてしまっているのです。

日本人の心に根づいてきたのは天照大御神をはじめとする神話であり、仏教であり、お葬式も多くの人が仏式のはずです。しかし、死んだらどこに行くのか?と今の子供達に聞いたら、「天国」と答える子が多いのではないでしょうか?黄泉の国と答える子は少なさそうだし、クリスマスを祝わっても、花祭りを祝う家庭は限られるかと思います。かと言って、キリスト教について本当に深い理解をしている訳でもない。

神話についても、教育課程の見直しで小学校の国語教科書にも「因幡の白兎」などが載っているようですが、ごく断片的なものに過ぎません。

神道と仏教への理解がなければ、日本の歴史、伝統、文化を理解することはできないでしょう。当然、真の「国際人」や「グローバル人材」になることもできません。

しかし、今の親世代含め、幼少期からそれらに十分触れる機会のないまま育っている子供が多いのが現実のようです。日本は敗戦をきっかけに文化も断絶してしまったのだと、改めて感じます。恥ずかしながら、私自身もあまりに知らないことに、子育てを通じて気付かされ、子供達と共に少しずつ勉強しています。学校での国語教育でも、読み書きや読解ではなく、文化の継承という部分ももう少し意識がされても良いように思います。

 

書店に並ぶ流行りの絵本や児童書を見ると、全体として質の低下を感じることは多く、その中で「ふしぎなたいこ」は良質な本だと思いますが、それでも尚大事な部分が欠落しているということに問題を感じます。もちろん、良心的な絵本もあり、我が家でもそれらを見つけながらバランス良く様々な絵本に親しんでいきたいと思っています。

有名作家だからとか、昔話だからといった理由で安心するのではなく、親が親なりの価値観を持ち、自分の手でしっかりと子供達のための本を選び取っていく必要がありそうです。